Sakura
The Japanese Soul Flower
(序文日本語版)

さくらは日本人の心の花です。

その色は淡いピンク。それを日本人は桜色といいます。

桜の花は、春のほんの一週間だけ咲きほこります。寒い冬を耐え、空気が緩みだした頃、春風に誘われるように莟が割れます。

花曇りという言葉があるように、この淡い色の花の咲くころの日本の天気は不安定。風が強く吹けば、花は見事に散ってしまいます。木を離れて桜の花びらが飛び交う様子を、花吹雪といいます。

このように、花を通して、人々は季節を謳うのです。

花が散る時、人々はそこに「日本人」を感じます。何故でしょう。

日本には「潔い」という言葉があります。それは、多くを語らず自ら進んで責任をとる行為を示す言葉です。

どんなに派手に咲き誇っても、時がくれば、さっと風に舞って散ってゆく。花びらの死骸は湿った田舎道の土の上にへばりつき、やがて消えてゆきます。

何も語らず、さっと散るさまに、人は潔い美しさを感じるのです。

この価値観を人々は日々の営みに投影します。

例えば、仕事がうまくいかなかったとします。もしかするとそれは上司の指示が悪かったからかもしれません。しかし、部下はそのことを言葉にせず、自ら進んで仕事を全うできなかったことを謝ります。

何も言わず散ることに、美しい価値観があるというわけです。そして、そんな部下の行為を、上司も黙って認めます。

そう、この部下の行為が「潔い」行為なのです。

その昔、「潔さ」の美学は、死への美学でもありました。150年以上前、サムライと呼ばれた人々は、いかに美しく死ぬかといつも考え、その最期の瞬間、心の乱れを克服して悠然と旅立つことに、まさに潔さを感じ、あこがれました。

死への美学はその後も受け継がれ、時には人々に悲劇ももたらしました。戦争中、潔く死ぬという美学が悪用され、戦って死ぬことが美化され、多くの若者の命を奪いました。

花が役割を終えて、木から離れて落ちることを、日本語では「散る」といいます。そして「散る」は、そのまま「死ぬ」を意味する言葉なのです。ですから美しく散るという言葉は、死への美学を象徴していたのです。

どんな文化も、美しい側面のその裏側に、恨みにも似た暗い部分が顔を出すことがあります。花吹雪の美しさを「潔さ」の象徴と捉える日本人の美学は、本来自らの欲望を抑え、社会に貢献し、人と共に生きることの素晴らしさを求める精神のあり方を支えるものでした。自己主張をせず、人との和を一義に考えるために自らの心を鍛える究極の美学として「潔さ」があったのです。

しかし、それが凶器に変わったとき、そこに恨みがうまれ、人の死を美化する悲劇へとつながったのです。

桜は一年の大部分はごく普通の木に過ぎません。たった一週間の満開の時、人は桜に目を向けて、それを楽しみ、花吹雪が舞い散ると、その一蹴の優雅に時のうつろいの儚さを感じたのです。

どんなに豊かな者も、必ず衰える時が来る。そして生きる者には必ず死がくるように、世の中のものは常にうつろい、同じままであることはありえないという、仏教の伝統的なものの見方が、咲いたかと思えば散ってしまう桜に投影されるのです。

日本文化を代表する二つの思想。

その一つは猛々しく純化された生命を崇め、自然の中に漲る力によって心を清めようとした神道。そして、もう一つが、人の世、そしてこの世全ての儚さを見詰め、その無常を受け入れようとする仏教です。日本人にとって、神道と仏教は表裏一体の陽と陰なのです。

桜は、そんな「陰」の美学を代表する花なのかもしれません。「花陰」という言葉に、日本人が酔いしれることからも、そのことが想像できます。

ですから、桜はその散り際にこそが、最も美しく、可憐で、そして悲しくもあるのです。しかし、そんなセンチメンタリズムともいえる美学の向こうに、人は生まれて死に、そしてまた生まるという永遠の輪廻を感じます。

桜の向こうに輪廻を観る。それが、散り際が美しい所以といえるのです。

だから桜は単なる花ではないのです。

だからこそ、桜を観るとき、人々は日本人の価値観、そして日本の文化を造り支えた美学の淡いエキスをそこに感じるのです。

きっとその価値観は日本人だけのものではないでしょう。ただ、幸い、日本にはそんな価値観を象徴的に語る木と花があったというわけです。

それぞれの文化には、ちょうど日本人にとっての桜のようなものがあるはずです。そうした事物に仏教観をかぶせれば、きっと世界中の人々が、心の中に桜の美しさを彩れるに違いありません。

日本には、桜前線という言葉があります。

春は南から北へと旅をします。日本の南で桜が開花するには3月の終わり頃。それから、4月、さらに5月初旬にかけて、次第に開花の時期が北へと移ってゆくのです。その移動する桜の開花期のことを、人々は桜前線というのです。

そして桜前線にそって、人々は春の訪れを祝います。そのお祝のための集まりを、花の宴、あるいはお花見と呼んでいます。花咲く桜の木の下にゴザを敷いて人々が集い、お酒を酌み交わすのです。

桜が散ってその次に人々が集うのは、秋に落ち葉が散る頃です。紅葉が風に舞う様子を楽しむのです。それを人々は紅葉狩りと呼んでいます。

お花見も紅葉狩りも、季節の変わり目の一瞬に永遠のうつろいをみる宴なのです。

(序文・山久瀬洋二)

SAKURA: The Japanese Soul Flower/水野克比古 (日本写真集・ガイドブック/IBCパブリッシング)表紙

Sakura
The Japanese Soul Flower・桜

写真 水野克比古、水野秀比古
文  水野克比古、山久瀬洋二

40年以上にわたって桜を撮りつづけてきた水野克比古・秀比古が、自ら精選した150枚におよぶ桜風景の集大成版。日本人の心の花は海外への贈り物に最適。

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本体価格 2800円 978-4-7946-0262-6
220×182mm 136ページ ソフトカバー

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