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日本の降伏とその影響は? >

86. 太平洋戦争の成り行きは?

太平洋戦争は、文字で記されている日本の歴史の中で、日本人にとって、最も悲惨で深刻な試練でした。

開戦当初は、日本軍はシンガポールからインドネシア、そしてアメリカの拠点であったフィリピンを制圧しますが、1942年6月のミッドウェー海戦での敗北以来、アメリカを中心とした連合軍の反撃にさらされ、南太平洋のガダルカナル諸島からはじまり、じわじわと日本軍は駆逐されていきました。

日本は、中国と依然、戦争状態で100万人の兵力を割いています。また、ヨーロッパでもソ連のドイツに対する反撃が開始され、1943年にはイタリアも降伏し、ヨーロッパで枢軸側がイギリスを屈服させることで、戦争を有利に導こうとする日本の思惑は外れてしまいます。

1944年の6月にサイパン島が陥落すると、同島から本土への空襲がはじまり、日本全国の主要都市が爆撃に晒されます。同時に、フィリピン、ビルマ方面も連合軍の反撃によって日本軍は甚大な損害を受けます。1945年4月、ドイツは降伏し、同じ月にアメリカ軍は沖縄に上陸、6月までに全島を制圧します。

日本軍は兵士への厳しい精神教育で、多くの将兵が敵に降伏すること無く、玉砕を強いられ、神風特攻隊や人間魚雷のような自殺行為による攻撃まで展開します。一般市民も徹底抗戦という政府の指導のもと、工場などに動員され、戦局が悪化し、日本の主要都市が焼土と化しても、本土決戦が叫ばれていました。

沖縄など日本国外の多くの地域では、非戦闘員も軍隊と共に死ぬことを強いられ、軍民共々、数えきれない犠牲者を出します。

こうした状況の中、連合国首脳は1943年にカイロ宣言を採択し、日本の海外植民地の返還を求め、降伏を勧告します。そして、ドイツ崩壊が目前に迫った1945年2月に、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相がクリミア半島のヤルタで会談し、千島と樺太のソ連への返還を条件に、ドイツの降伏後、ソ連が日本に参戦する密約が結ばれました。

しかし、日本はあくまでも戦争を継続する意思を示しており、アメリカとしては、日本本土に上陸した場合の被害、さらに戦争が長引いた場合の、ソ連の日本への南進を深く懸念するようになります。アメリカの影響下での日本の無条件降伏がアメリカにとって、最も望ましい結論だったのです。

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