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享保の改革とその後の状況は? >

50. 江戸時代の産業、経済は?

江戸時代は、そのほとんどの時期、海外との交流を断絶していました。

その200年は、日本にとって決定的でした。欧米諸国は、その間に産業革命を迎えるのです。

人類の歴史は、内燃機関の発明の前後で大きく変化します。この発明で人や物の移動の手段が飛躍的に向上し、工業生産力も大幅に上昇します。それによって、生産規模も生産性も以前と比較にならないほど変化し、社会もそれに応じて矛盾と試行錯誤の中で近代化します。欧米での産業革命は、それまでの世界での欧米の地位を大きく変化させていったのです。

日本は欧米と同じように、それなりに高い技術や社会構造を整えながらも、これらのイベントから完全に置き去りにされたのです。

日本国内では、すでに貨幣経済が浸透し、様々な手工業が発展し、農耕技術も以前に比べれば大きく進歩していました。米や産物を商う商人は株仲間を結成し、幕府や藩と連携して商品の価格をコントロールします。日本の近海の航路は、菱垣廻船や樽廻船などの定期航路が周回し、物流を支えていました。また、大名の参勤交代によって、街道や宿場が整備され、飛脚という郵便業者が書類や為替を運んでいました。江戸などの大都市には、金や銀の交換を商う両替商が活躍し、次第に現在の銀行のような役割を担っていたのです。

しかし、これらの変化は、日本という島国の中だけの進化でした。中国や朝鮮も同様です。中国では1644年に明が満州族に滅ぼされ、清が興きますが、その外交方針も基本的には鎖国でした。アジアの主要地域がこぞって欧米との交流に消極的であったことが、日本の鎖国をより長期化させたのかもしれません。

しかし、そうした中でも日本は着実に進化し、封建制度の土台が少しずつ緩んできます。農村では土地を持つ本百姓が貨幣経済の流入によって勝ち組と負け組に分化し、成功した者は地主化し、田畑を借りて耕作する水呑百姓への肥料や農具の前貸しなどで利益をあげる者も現れます。貧困に喘ぐ貧しい農民の生活は深刻で、飢饉などによって流民が生まれ、百姓一揆と呼ばれる蜂起も時々おこりました。これは税収に影響を与え、幕府の財政を直撃します。

生産手段を持たない武士の中にも、貨幣経済に巻き込まれ、困窮する者があらわれ、幕府や藩を含め、武士の経済状況が悪化してゆくことが、幕藩体制の土台を揺るがしてゆく原因となったのでした。

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